1/28(土) 8:33配信
2018年3月、滋賀・守山市野洲川の河川敷で、両手、両足、頭部を切断された体幹部だけの遺体が発見された。遺体は激しく腐敗しており、人間のものか動物ものかさえ判別が難しかったが、その後の捜査で、近所に住む58歳の女性のものと判明する。
女性は20年以上前に夫と別居し、31歳の娘と二人暮らしで、進学校出身の娘は医学部合格を目指して9年間もの浪人生活を経験していた。
警察は6月、死体遺棄容疑で娘を逮捕する。いったい二人の間に何があったのか――。
獄中の娘と交わした膨大な量の往復書簡をもとにつづる、驚異のノンフィクション。
母から逃げたかった
カンニング事件もあり、あかりに対する教師の評価は芳しいものではなかった。各教科の内申点も足りなかったため、推薦入学での進学は絶望的だった。
三者面談での担任教師に怒り心頭だった母は、「一般入試で合格して教師の鼻をあかせ!」と厳命していたが、あかりは母が言うように地元の滋賀医科大に進学することにはどうしても抵抗があった。
母から逃げたかったからである。
母は守山の自宅から通学できる大学に進むことを強く要求していたが、あかりはなんとかして、母から離れようと願っていた。そこで考えたのが、静岡・浜松にある浜松医科大学だった。
浜松医大も国立の超難関校で、推薦での合格枠はわずか25名。推薦入試に出願できるのはひとつの高校から4人以内と定められていたが、あかりの評価点は、推薦入試の願書を提出するために必要な最低ラインをぎりぎりでクリアしていた。
母は、半狂乱になった
推薦入学の選考は2月6日、7日の二日間にわたって行われる。あかりは母にはひと言も告げず、独断で浜松医科大学医学科に願書を提出し、浜松へ向かった。
合格するには、センター試験で8割以上の高得点のほか、二次試験として適性検査、小論文、面接が課される。ハードルは限りなく高いが、もし合格すれば、母から離れて生活することができる。「囚人のような生活」から逃れることができる。
あかりの置き手紙で浜松医大を受けることを知った母は、半狂乱になった。
「『(あかりが)逃亡するかもわからない』ということで、すぐに行ってくれということを言いまして、会社から帰ってすぐに新幹線に乗って行ったときに、ちょうど見つかったんですけれども」(法廷での父の証言) 母から連絡を受けた父は仕事を終えると新幹線に飛び乗って浜松に向かった。職場から浜松までは、京都で新幹線に乗り換えて一時間半ほどである。夕方、浜松医大の門の外で待っていると、ちょうどそこにあかりが現れたのを見つけ、そのまま守山の自宅に連れ帰ったという。
浜松からの帰途、あかりと父とはとくに言葉を交わすことなく、沈黙したままだった。父はもともと寡黙な人だが、あかりも、何を口にしていいか分からなかったのだ。
高すぎたハードル
2月末からは、いよいよ国公立大学の二次試験が始まる。
母の指示によって、二次試験は前期後期とも京大看護=京都大学医学部保健学科(現・人間健康学科)を受けることになった。
二次試験は英語、数学IIB、数学III、理科(生物、化学、物理)二科目の選択である。看護学科といっても、京都大学のレベルは非常に高い。合格は到底おぼつかないことは、あかり自身が一番よく分かっていた。
自分を奮い立たせるため、進学情報誌や大学案内などを読んで学生生活をイメージしようとしたが、どこか自分には関係のない、遠い、夢の世界としか思えなかった。
「あかちゃんが本当に必死に勉強してきたんだったら、センターの自己採点が本当にあかちゃんの言う通りなんだったら、看護なんだから、絶対に合格しなくちゃおかしいんだからね。京大とはいえ、看護なんだから」
「はい」
母にはセンター試験の自己採点の結果を全体的に8~9割だと伝えていた。センター試験の時点ですでに合格には程遠かった。受験日までの約1ヵ月、何時間も机に向かって京大の赤本の解答をノートに書き写していた。京大の二次試験は解答をただ書き写すだけでも大変だった。こんな難問を自力で解けるなんて、狂ってる。私には無理。無理無理無理。
「嘘だったら、承知しないよ」
「大丈夫、行ってきます」
今日のために1ヵ月、やり過ごしてきたんだから。
番号はなかった
京都大学前期試験の合格発表は2005年3月9日で、この日の昼前、レタックスが届いた。そこに印字された合格者受験番号の中に、あかりの番号はなかった。 「ない! ない! ないじゃないっ!」
母は叫んでいた。うろたえていた。
そりゃないよ。ある訳ないじゃん。
「必死に勉強してたんじゃないの!?
センターは合格圏内って言ってたじゃん。全部嘘!? ええ?
お母さんをまた騙したの?
ええ?
何とか言いなさいよ、ええ?
もう、看護すら転がり落ちるなんて思ってもみなかった!」
金切り声が耳に痛い。レタックスを投げ捨て、鬼の形相で母が眼前に迫る。髪を乱暴に掴まれ、振り回される。
また騙したの、って言われても、本当のこと言ってもお母さん聞いてくれないじゃん。嘘つくしかないじゃん。私どうなるんだろう。でも、さすがにもう、諦めてくれるか。
「ちゃんと、勉強してましたっ、センターは、ちゃんと点数、取れてましたっ、嘘付いて、ませんっ、ごめんなさい」
ゴミのように床に叩きつけられる。
合格したって言いなさい
「……言えない! あんたがどこにも受からなかったなんて恥ずかしくて言えないっ!」
……まぁ、言えないでしょうね。でも、いずれは言わなくちゃいけないよ?
「中高6年間お金出してくれたお祖母ちゃんに、申し訳なさ過ぎて言えないっ!」
そんなの、仕方ない。
「受かったことにする」
……え?
「京大に、合格したって言う!」
母は自分自身に言い聞かせるように断言した。何言ってるの、お母さん? 私は驚きと恐怖で、言葉を失ってしまった。狂ってる。
「……京大に、合格したって言いなさい。お祖母ちゃんが、援助してくれたお陰で京大に入れたよ、ありがとうって……」
悔し涙声が詰まる。本当に合格させた上で、この台詞を言わせたかったのに馬鹿娘めが――。
「……でも、どうしても医者を諦められないから、京大に通いながら医学科進学を目指したいってお祖母ちゃんに頼みなさい」
「ええっ!?」
どうしても医者を諦められないのは私じゃなくてお母さんじゃん!
「1年で嘘を真(まこと)にしなさい!」 「……は、はい」
怖かった。何も言えなかった。怖かった。
齊藤 彩